黎さま作
「我が社はショッカーではありませんので。では失礼」
真紅のチャイナドレスに身を包んだ百合野真崎は、ブロンドの美少年に一礼して踵を返した。
美少年は檻の中から百合野の後ろ姿を見ながら気を遣った。檻から通路に向けて美少年の愛らしい陰茎から精水がまき散らされる。しかし、美少年の肛門を責め苛むロバはまだまだ元気だ。
巨大娼館エデン。その地下に位置する辺獄<リンボ>。
娼館に所属する【奴隷】のうち、罪を犯した者や店または客に逆らった者、そしてエデンの【奴隷】としての水準に満たなかった者が堕とされる地獄。
檻に入れられたリンボの【奴隷】は客の猟奇趣味を満たす道具として、ただの【奴隷】とは比べものにならない責め苦を受ける。
時としてそれは死に至ることもあるが、リンボの【奴隷】たちは死よりも辛い日々を過ごしている。中にはそのこともわからないほどに精神を破壊されている者もおり、それはある意味では幸福な例外かもしれない。
百合野が相手しないことにした、檻の中の美少年はその例外的な【奴隷】ではなく客の一人だ。
彼は獣姦によって人間と獣の合いの子が創造できるという幻想に取り憑かれた夢想家である。己に子宮などないというのに、涜神の子を孕む妄想に浸っているのだ。
リンボの檻を借りて行為に臨んでいるのは、自らも畜生に堕ちる被虐性癖的な快楽を求めてのことだろう。
百合野を軍事企業の社長令嬢≠ニ知っていた彼は、そのおぞましいテクノロジーを百合野の会社が有していないかと聞いたのであった。獣との子を産む技術、もしくは後天的に動物の能力を持つ人間を作り出す技術を。
「どこの道楽息子かは名乗らなかったから知らないけれども……夢見がちな子がいるものね」
暗い部屋のあちこちから【奴隷】の断末魔の叫びや、それをいたぶり切り刻む客の狂喜の声が聞こえる。
「改造手術なんか必要ない」
百合野の右隣を歩く白人の偉丈夫が歯を見せて笑う。男は百合野のウエストより遙かに太い腕と脚を持ち、手も百合野の頭を掴んで持ち上げられそうなくらい大きい。
「肉食ってプロテイン飲んで人を殴ってれば十分強くなれる。俺はグリズリーとライオンを同時に56した! あのメスガキも俺と同じようにすればいい」
流暢な日本語だった。ほとんど訛りもないことから、日本で長く過ごしていることが窺える。
「誰もがアナタみたいな規格外にはなれないわ、バックホー。あなたが彼みたいには、なれないようにね」
百合野が気怠げに返すと、バックホーは一瞬眉根を寄せた後――自分の右にあった檻を叩いて大笑いした。
「ホッホッホッホー! ちげぇねぇ! 言うようになったなリリスボーイ! ホッホッホッホー!」
バキンバキンという打撃音とバックホーの笑い声に、辺りが静まり返る。陵辱に興じる客も、それに嬲られる【奴隷】も等しくバックホーの異様さに恐れおののいたのだ。
バックホーの打擲に堪えきれなくなった鉄の檻がひしゃげ始める。やがてその中で怯えていた【奴隷】ごと叩き潰してしまった。
「バックホー、笑いすぎよ。もう中の人がミンチじゃない。これは弁償しないといけないわね」
百合野はバックホーを窘めるが、目が笑っている。
「ホッホッホー! ソーリーだぜリリスボーイ!」
バックホーもまったく悪びれず、笑いながら檻を殴り続ける。潰された【奴隷】の血と内臓、糞便の臭いがあわさって得も言われぬ悪臭がたちのぼる。
バックホーは百合野が父から与えられたボディーガードの一人だ。休日には殺人、強姦なんでもありの地下闘技場で対戦相手を八つ裂きにしている。
「請求書になります」
音もなく近づいて来た――というよりバックホーがうるさいせいで足音が聞こえなかっただけだが――ボンテージ姿の【奴隷】が百合野に一枚の紙を差し出した。だが百合野は請求書には目もくれなかった。
「パンツで払うわ」
百合野は中腰になり、チャイナドレスのスリットから手を入れてショーツをずり下ろす。スリットから覗くほっそりとした脚を伝って、淡いブルーのショーツが足首まで到達する。チャイナドレスと同じく真紅のパンプスを履いた足を片方ずつ上げて、百合野は穿いてない状態になった。
「遠慮しなくてもいいのよ。人の命に比べれば、パンツなんて安いものだけど」
百合野は脱ぎたてのショーツを目の高さまで持ち上げてひらひらとさせる。
おさまりかけていたバックホーの笑いにまた火が付いた。
「リリスボーイ! そりゃ、何の冗談だ? ホッホホホホホホホー!」
【奴隷】の肉は最早ユッケ状態だ。百合野は次からはバックホーが出禁になっているかな、と思った。その時は別のボディーガードを連れてくれば良い。例えば「ワイバーン」。人間離れした敏捷性と跳躍力を持ち、火吹き芸の達人でもある。ワイバーンなら、【奴隷】の弁償はせずに済むのではないか。
「どうしたの? もしかしてアタシが穿いてたから価値がないとでも?」
ボンテージの【奴隷】は目の前にぶら下げられたショーツを怪訝そうに見ていたが、やがてハッとなって息を飲んだ。
ショーツには無数のダイヤモンドが散りばめられていた。
こんなもの、ここでは別に珍しくもないと百合野は思っていた。見かけないわけではないが、珍しい、といったところだろうか?
「足りるの、足りないの?」
百合野は【奴隷】から請求書を引ったくった。
「あー、これ絶対足りてる。お釣りは要らないからこの屍体をあとでアタシのとこに届けるよう言っておいて。リリス、って言えばわかるから」
百合野は戸惑う【奴隷】にショーツを無理矢理押しつけて、地下を後にする。
リリス、とは百合野がエデンで使っている偽名である。身元は会員になる際に知られているが、【奴隷】にまでそれを知られるのが百合野は嫌だったのだ。
というのは建前で、本当は初めてエデンに来た当時に厨二病をこじらせていたのと密接な関係がある。
リリスとはもちろん、アダムの最初の妻とも、ルシファーの情婦とも呼ばれる悪魔リリスのことである。英語で百合がlily≠ナあることから百合野はその偽名を使うようになったが、悪魔リリスと百合は関係ない。中学生の無知からくる連想だった。
その辺の事情を知っているため、バックホーは百合野をからかう意味で「リリスボーイ」と呼ぶ。
「ホッホッホー! もう帰るのかリリスボーイ?」
バックホーが百合野の股間を常人の数倍の太さの人差し指で撫で上げる。
それに反応して百合野の勃起した陰茎がチャイナドレスの前をわずかに持ち上げた。
「あぁ。これは、バックホーが屍体を作ってくれたから……あら?」
百合野はギュン、と亀頭を突き抜ける甘い刺激を覚えた。射精ではない。
「これは、また別な死の匂いね」
百合野真崎はネクロフィリアである。
屍体と交わることで無上の悦楽を感じる異常性愛者だ。持てる力の全てを注ぎ、屍体を辱めることに血道を上げてきた。そのお蔭か、百合野はある種の勘が研ぎ澄まされていた。
近い将来に死を迎える人間がわかる能力。
百合野自身にしかわからない微かな死臭としてそれは関知される。正確な日時や場所、死因などは特定できない。だが、百合野が霊感的な死臭を感じた相手は八割以上が一年以内に死亡している。
屍体など珍しくもないリンボだが、すぐ近くから甘やかな死の香りがするのだ。
百合野は鼻をひくつかせながら、その場で半回転した。
「見つけた」
百合野は請求書を持ってきたボンテージの【奴隷】を見ながら舌なめずりした。